トレーナー自己紹介:秀樹

こんにちは!スタッフの金子です!

トレーナー紹介第二弾💣

今日は火曜日夜のBeauty Kickクラスを担当している秀樹トレーナーを紹介します🌟

 

 

こんにちは!新宿レフティージムの秀樹です!

簡単な生い立ちから現在に至るまでの紹介をさせて頂きます!

僕は静岡生まれのほぼ千葉育ちなので出身聞かれたら千葉と答えています✨️

1991年7月25日生まれ、現在33歳、2人の姉がいる末っ子長男です。

小学生から負けん気が強く、2個上、5個上の姉の同級生とかと一緒に遊ぶ際に、年の差を埋めるために毎日必死でした笑

そのため、同級生の中では運動神経は割と良く、シャトルランなどの根性系は特に強かったです。

格闘技を初めて見たのは小学5年生のときの

”アーネスト・ホーストVSボブ・サップ”でした。

父親が見ていたのをたまたま自分も見ていて、筋肉モリモリの人が殴り合ってるのを見て格闘技に感心を持つようになりました。

そこからK-1 MAXが誕生し、武蔵さんだけでなく、魔裟斗さんを応援するようになり、同級生の中でもK-1が流行るようになっていきました。

小学生6年から高校3年までサッカーをやっていましたが、20歳から大学のキックボクシング部に入部し、そこで初めてキックボクシングを習うことになりました。

学生キックボクシング連盟主催のキックボクシング大会に出場し、フェザー級、ライト級の学生チャンピオンになりました。

フェザー級の時は57キロまで落とさないといけなく、、命を削る思いで減量しました。

大学4年生の23歳の時に、レフティーと出会い、1年だけという縛りの元、プロのキックボクサーとして活動しました。

その1年で王者になって引退するというシナリオでしたが、叶うことはなく、新社会としてキックから距離ができるようになりました。

新卒入社後、すぐにチャンピオンになれなかった後悔の念がだんだんと強くなり、どこかのタイミングで退職し、再びキックボクサーとして挑戦したいと思うようになりました、

ただ、社会人から逃げるという選択に思われなくなかったので、自分なりに結果を出してやめようと思いました。

2年目の下期に、何もない手札の中、がむしゃらに必死に営業し、最終的には部内で売上件数、売上額の1位を取ることができました。

このタイミングで下期の終わる3月に退職し、プロのキックボクサーにカムバックしようと思いました。

確か3月くらいに会長に、会社を退職してプロとしてやっていきたいという相談をしましたが、何とその日に5月に試合が決まったぞ!と連絡がありました😅

退職して2ヶ月ちょっと笑

社会人時代月1とかできか動いておらず、2年のブランクはでかいと思いましたが、決まってしまったものなので、それに合わせて身体を作って行きました。

筋肉も落ちたし、脂肪は多めだから体重はすぐに落ちると思い60キロでオファーを受けましたが、まあーキツかった💦💦

5月に試合が決まり、さらにその1カ月の間に63キロ、65キロと3試合も決まってしまいました😅

65キロの試合は元々オファーがあったけどさすがに断っといたとの連絡があったものになります。

その連絡を受けた際に、何のためにキツかった会社を退職しここに来たのかと自問して、やらないで後悔はしたくないと思い、断ったオファーを受けてもらう形で決まりました。

これが後に、K-1グローバルの王者となるトーナメントの参戦につながりました。

1つの選択肢で良くも悪くも大きく変わるものですね。

何か目の前に、姿の見えないチャンスが舞い込むことってあると思いますが、その時姿の見えない分、やらない理由を探したくなると思いますが、どうにか工夫して自分にできないかという思考があればチャンスを掴むことができるのかなって思います。

リーマンからプロ復帰で一番欠かせないのが身体づくり。

当時のラントレ、階段トレーニング、水泳強化トレーニングでは、1週間に一度行っており、試合が決まっていようがいまいが、必ず参加するという体制があり、トレーニング前日は緊張して寝れないという現象が起きていました。

そして、やり切って終わったトレーニング直後も、あと7日後にまたやるのか、、、という謎のカウントダウンタイマーがスタートするのです。

こうやって思い出して書いているだけで実際やらないのに緊張してきます。

テレビなどの取材が入ると、トレーニング内容も若干(いや結構?)テレビ映えよりになり、取材がほんと嫌いでした笑💦

ラントレ(400メートル、800メートルを全力で永遠に走らされる)も負けん気をいかして、先頭集団の特攻リーダーを担当していました😅

ただ、振り返って思うことは、現役中、中途半端に練習したり、中途半端な気持ちでラントレに臨むといったことが一度もなかったということです。

当時の強化メンバーはそのへんのマインドが一致していたと思うので、少人数ではあるけど、その仲間たちで作り出す相乗効果はとても高かったと思います。

これらの取り組み姿勢から、試合では毎回自信を持ってリングに上がることが出来ました。

時には何百時間という苦しい時間を自分と向き合っても、数分間でリングに散ってしまうなど、辛い経験もたくさんしてきました。

僕はワンマッチはほぼ勝つのですが、デビューしたてのトーナメント準決勝、旧KNOCKOUTの決勝、RISEタイトルマッチのようなタイトルが関わる試合では不思議と結果を残すことができませんでした。

誰になんと言われようが、当時からキックボクシングに対する向き合い方は抜かりなくやってきた自負があります。

練習量や苦しい思いは、他のどのアスリートよりもやり切ったと言える自負があります。

だけど、結果を残すことができない。

そこから、これまでの格闘技界で言われていた、これがあればチャンピオンになれるというノウハウを一度置き、自分自信をしっかり分析し、強み、弱みから自分には何が必要なのか、そんな練習に切り替えていくようにしました。

そこからどんどんファイトスタイルが変わっていき、自分の良さを活かし、良い意味でフィジカルに頼らない戦い方ができるようになりました。

そのへんの向き合い方に気が付いたのは、もう現役の後半でしたので、成長中のところでタイムアップとなってしまいましたが、いろんな苦しい時期を通して、これらの気づきや成長の最中に引退することができたのも結果的に良かったのかなって思ってます。

ただ、1つ強く言えることは、

良く「量より質」と言うけれども、それは量を経験したからこそ言えることだと思います。

結局どんなに技術だけを極めても、リングに上がれば簡単に心は折られるし、技術を活かす前に潰されてしまいます。

これはどの分野でも当てはまるのかなと思いますので、自身が何か新しいことにチャレンジする際は、この初心を忘れずに挑戦したいと思います!

レフティーで過ごした苦しかった時間、楽しかった時間、嬉しかった時間すべてが財産です。

この経験を活かして、誰かのために、誰かの挑戦のために力になれる人間になりたいなと思っています。

本日は、レフティージムトレーナー秀樹の紹介でした!